炎川沿線

右手中指に黒い指輪をしたり、外したり。

この時代に生きてて良かったと思う

今日はタイトル通りのことをつらつら書こうと思う。これは別に私が今幸せだ!って話ではないし、今の時代を手放しに称賛したいわけでもない。でも、もし私が生まれるのがもう数十年早かったら、もしもっと前の時代を生きていたとしたら、私はどうなっていたんだろうって最近よく考える。つまりはSNSのない世界、ネットのない時代だったら私ってきっと今よりもっとずっと病んだんじゃないか、孤立し苦しんだんじゃないかってこと。気持ちに任せて書くので支離滅裂かもしれないけど、ちょっと勢いで言語化しておきたいなと思ったので書きます。

 

「検索したら情報が出てくる」って本当にすごくない?って思う。私がこのブログを始めたのは、アセクシャルの方のブログを読んでめちゃくちゃ共感したから。周りに打ち明けるのを躊躇うような悩みやうまく表現できない気持ちを持って困っていたときに、名前も知らない人の日記や文章、SNSの言葉にめちゃくちゃ救われました。こんな人が日本のどこかにいるんだ、自分と似た経験をした人がいて、自分と似た感覚を持つ人がいて、そしてそれをここに記した人がいるんだ。その事実だけで本当にありがたかった。自分がアセクシャルかどうかは、正直まだよく分からないと思ってる。断言したいかと言われると分からない。違う可能性もあると思う。でも、色々と疑問を持って調べる中で見つけた色んな体験記を読んで私は冗談じゃなく泣いた。ネット記事やブログだけじゃなく、そういった題材の漫画とかもヒットしたので読んでみてめちゃくちゃに泣いた。SNSとかYouTuberの方の動画とか、コミュニティ掲示板みたいなのも覗いてみた。誰かがオススメしていたので「恋せぬふたり」も観てみた。「アセクシュアルのすべて」が出てきたので買ってみた。読んだ。また泣いた。あとはアセクシャルな人と付き合っている人の知恵袋とかも見た。別れるべきでしょうか?みたいなやつ。あれも私の悩みドンピシャだったので泣いた。(泣きすぎなのは当時本当に思い詰めていたからなので見逃してほしい。)ある定義で括られた一つのカテゴリと言えども色んな例があって、色んな選択肢があることもそこで理解したと思う。本当に助かったし、当時の恋人との関係性を考えていく上でも生の声が一番参考になった気がする。まあ、まだ悩んではいるから現在進行形なんだけど。

 

もし検索するって手段がなかったら私はどうなっていただろうかと考える。今私がいる職場周りの環境は恋愛して結婚したい、って思っている人が多い。というかほとんどがそうだ。既婚者か、付き合っている人がいるか、いなくても今はいないだけで相手を探してます、みたいな。多様性に理解がないわけではないけど、結婚して子供を産んで、ってルートが当たり前の世界だ。もしその景色だけを見て生きていたときに、私が今抱えているありのままの感覚や価値観をどれだけ自分で肯定できたか正直自信がない。当たり前に流されて、違和感を飲み込んで誰かと付き合い続けたんじゃないか。本心では望んでいないのに、結婚とかして子供を産んだりしたんじゃないか。周りに共感されそうにない自分の感情なんて押し殺してしまうんじゃないだろうか。周りの当たり前に倣わなきゃって考えてみんなと同じ行動をするんじゃないだろうか…。もしかしたら違和感から文献を当たったりはしたかもしれないけど、ネットやSNSのない時代だったらこんなにスムーズに情報を得ることはきっと難しくて、かなり遠回りしただろうなと思う。または正直に打ち明けて孤立する、とかもありうるのかな。アセクシャルは100人に1人程度という情報も見たけど、多いようで少ない。クラスに1人もいないんだとしたら、社交的でない私がリアルで共感者を見つけるのはかなり至難の技だ。

 

そう考えたとき、とりあえず私はこの時代に生きてて多少幸運だったな、と思った。リアルの距離を超えて情報にアクセスできる時代でよかった。個人の意見や体験を自由に発信できる時代でよかった。少数派の小さな声にもダイレクトに触れられるツールがあって本当によかった。日々のニュースとかを見ていると、これからのことが本当に不安になる。裁判の判決とか、選挙の結果とか、経済的なこととか、憂鬱になるポイントしかないって思っちゃう。でもこの時代の良いところって今書いたようなところなのかなって私は思う。だから活用していきたい。自分の気持ちを確かめるためにも。

誰も自分を殺さなくてすむ時代になってほしいな。

 

【追記】文末表現が乱れていたので一部修正しました。2022.7.22