炎川沿線

右手中指に黒い指輪をしたり、外したり。

友人の言葉がうれしかった話

悩みがあるとき、誰に話すかってすごく難しい。私が自分のセクシャリティに疑問を持ち始めたときも、誰にどう相談したら良いんだろうってすごく迷った。リアルの知り合いに自分のそういった話をするのは個人的にはかなりハードルが高かったのだけど、当時の恋人以外にひとりにだけ、自分がアセクシャルかもしれないという話を打ち明けた。そのときのことがかなり救いだったので、今回はその話を少しだけしたい。

プライベートな内容だし、最初は私と相手以外誰にも言わずに一人で(二人で)解決できるならそれが一番だと最初は思っていた。でも、途中で不安になった。私はこれまで自分がアセクシャルっぽいということを全然認識できなかった。人と感じ方が違うことに気付くのにものすごく時間がかかった。つまり、視点が偏っている。もし私がここで独りよがりな判断をして何か間違いを犯してしまったら?大事にしている相手を傷つけてしまうのでは? そう思うと、一人で考えて動くことがとても怖くなった。だから第三者の意見が欲しくて、「アロマアセクでない人(彼サイドの視点)」かつ「昔からの自分を知っている人」として学生時代の友人に恋人と自分の話をした。以下、友人をAと呼びます。

打ち明けた

アセクシャルという言葉をAはよく知らなかったんだと思う。だから、アセクシャルの意味が書いたリンクを送って、「私これっぽいかもしれないんだよね」とだけ、まずは伝えた。そして現況をざっくり伝えた。恋人とそれっぽい空気になったことはあるけどどうしても違和感があって最後までできなかったこと。お付き合いを始めてからずっとそういう行為に積極的になれなくて、ようやくしたキスもあまり嬉しくなかったこと。手を繋ぐことに対してはそんなに嫌じゃなくむしろ嬉しいかも…?と思ったけど、それ以上はどうも心地よく感じなかったこと。ここまでの感覚を踏まえてアセクシャルかもしれないと思って彼に伝えたこと。彼は今私が積極的に行為を望んでいないことは理解してくれていて、とりあえずは私の気持ちの整理を待ってもらっていること。ただ、「炎川とそういう行為をしたいと思っている」とははっきり伝えられていること。お別れした方がいい気がしていること。その他細かい諸々も、話せる範囲でぽつぽつと話をした。
(ちなみに。これはAには言わなかったけれど、彼のこの「したい」気持ちが「誰でも良いからしたい」ではなく愛情表現としての「したい」だってことは彼からちゃんと言葉で伝えてもらっていて、そこは私は痛いほど理解しているつもりです。だからこそ自分の気持ちに素直になることがとてもしんどかったのだけど、そのこと自体は嬉しくも感じていました。そこは補足しておきたい)

Aが言ってくれたこと

彼女は電話越しで長いこと唸っていた。ん〜〜〜〜難し〜〜〜、え〜〜〜〜、どうする〜〜〜??みたいな。それがこれまで一人で悩んでいた私と少し似ていて、こんなタイミングだけどちょっと笑ってしまったのを覚えている。私も外から見たらこんな感じで唸ってたんだろうな、って、ちょっとだけ冷静になれた。それだけでも話してよかったと思ったりした。

ほとんどの時間はふたりで唸っていて、こういうのはどう?とかこういう話はした?といった確認をしたり、こういう人もいるよね〜みたいな話をぽつぽつとした。少し前の話なので正確性には欠けるかもしれないが、彼女はざっくり下記のようなことを言ってくれたように思っている。個人的な話も含むので嘘を交えているし、Aの意見というよりは私の解釈と言った方がいいかも。意訳したものとして読んでいただきたい。

”私もそんなにベタベタしたいタイプじゃないから、正直そういう行為が無しでも良いって思える気がする。老夫婦みたいな、手を繋いで隣を歩いていくような関係性が理想だし。男性側がどうかはわからないけど、そこが重要じゃないって女性は炎川だけじゃなく多かれ少なかれいるんじゃない? 私の知人でも、恋人とそういう行為をするけど別に行為自体は好きじゃないって人を知ってるよ。行為への違和感ってことであれば、慣れていくこともあると思う。でも、炎川の話を聞いていると人よりその”度合い”が強そうだから、それがアセクシャルって可能性はあるのかもしれないね”

恋人だからって触れてたらいい、近けりゃいいってわけではなく、最適な距離感って人それぞれだと思う。好きな人ともちょっと離れていた方が心地良いって人もいるかもしれないし、もしかしたら炎川はそういうタイプなのかもしれない"

”手を繋ぐことは嬉しかったんだよね? 相手との全てが嫌なわけじゃないなら、相手がゆっくりで良いって待ってくれているなら、炎川の嬉しい気持ちや楽しい気持ちを相手に伝えながらもう少し時間をかけて考えてみてもいいんじゃない?もし本当に今の状態でいることが辛くなったら、そのときは友人に戻ったり、関係を変えることも考えていいと思うよ”

…と、そんな感じ。改めて見ると、特に大したことは言っていないのかもしれない。どうだろう。でも、私にとってはこの言葉が本当にありがたかった。

何がありがたかったのか

それまでも彼との話(楽しかったことや嬉しかったこと)をしていたからなのか、「彼のことを本当は好きじゃないんじゃないか」とか「そもそも何でしたくないのに付き合ったの?」と言われなかったのはまずありがたかった。私の「したいと思えない」という感覚を否定しないで聴いてくれたこと、そういうこともあるんだね、と違いの一つとして捉えてくれたことも嬉しかった。

たぶん、当時の私は「恋人だったらこうすべき」って考え方にすごく囚われていたんだと思う。1か0かの考え方になっていた。自分がアセクシャルか否か。今すぐ別れるべきなのかどうか。もしアセクシャルだとしたら彼と付き合ってはダメだったんじゃないか、私は選択を失敗してしまったんだろうか?…と。恋人はこうあるべきなんて画一のルールがあるわけじゃないのに、普通の恋人になれない、相手が求めることに応えたいのに応えたいと思えない自分が最悪にしか思えなくて(ある意味ではやっぱり”最悪”で間違いはないのだけれど)、必要以上に自分を異端で異常だと疑っていた。セクシャルマイノリティだとしたら、もう色々おしまいかもとさえ思っていた。頭が、自分を責める方向にばっかり向いていたように思う。だから、アセクシャルだから別れる/別れない」ではなく「最適な距離感を探り合う必要がある」という風に言ってくれたのが私には本当にありがたかった。ハッとした。救われたと言っても良いかもしれない。

確かにそうだと思った。友人関係であっても、ゼロ距離で触れ合ったり毎日連絡を取り合うのが楽しいと感じる人もいるし、そうじゃない人もいる。適切な距離感が人それぞれ違うことなんて、それこそ当たり前だ。好きな相手、仲の良い相手なら無理して合わせて成り立つこともあるけれど、それぞれお互いの限界や地雷はやっぱりある。だからこそ話し合ったり、地雷には触れないようにしたり、妥協をしたり、距離を置いたり、調整が必要だというだけ。

そこにセクシャリティの話が絡んだとしてもそこだけを必要以上に重たく考えなくてもよくて、そういうちょうど良い関係を、バランスを、ゆっくり探っていけばいい。たったそれだけのことだけど、私だけで考えていたらそんなことさえ気付けなかったと思う。当時ごちゃごちゃとしていた頭の中が、少しはシンプルになったように感じた。Aと長い間良い距離感を保って関係を続けられているように、彼ともお互いに納得できる関係性や距離感を見つけられたらそれが一番良い。無理なら無理で関係を変える選択もありだよって言ってくれたことも含めて、ふっと心が軽くなった。

だから本当にAには感謝している。こういうふうに自分と違う価値観の人の悩みを聞いて受け止めてくれるというのは本当にありがたいし、私も誰かが悩んでいるときにはこうありたいなって思った。

 

とは言っても難しい

と、ここまで分かったようなことを書いたけれど、その後のすり合わせ・調整がうまくいったかどうかはまた全然別の話で。正直私はまだなんにも心の整理がついていない。とりあえず結論から言うと恋人関係は解消したのだけれど、現在進行形でめちゃくちゃ悩んでいる。相手とはA以上にたくさん話し合っているので嬉しかったことも苦しく感じたことたくさんあるのだけれど、中々自分の中でもうまく言葉にできていない。ここでも核心に触れない周縁の話ばかりをしている気がする。

もう少し時を置いて、気持ちが落ち着いたときにはちゃんと整理していきたいと思う。

またAにも相談してみようかな。

今日はそんな感じでおしまいにします。では。また。